2009年06月10日

青年の希望

本日は、文先生の青年へのみ言葉をご紹介します。
1974年米国ニューヨークベリータウンで語られた「国際指導者セミナー」での講演文をご紹介します。
「青年の希望」
希望を抱かない青年はいません。
では、その希望、あるいは野心とは何でしょうか。
「専攻する分野で成功することが私の野心です」という人もいるでしょう。しかしそう答える人に「それが本当にあなたの野心なのですか」と真剣に問うてみる時、それを本当に確信している人はそれほど多くはいないことが分かります。そしてその野心を達成した時に、再び新しい野心に向かって出発しなければならなくなるのです。こういうことはよくあることです。例えば教授として成功し、教壇に毎日立っていても、突然、これは自分がずっと求めてきた野心ではない、ということに思い至ることもあるでしょう。
たとえ自分の野心を達成したとしても、「私はそれを成し遂げ、本当に幸福であり満足している。」と感じることの出来る人はほとんどいません。いったんある段階に達したならば、それを乗り越えていきたいと思うようになるものです。言い換えれば、人は現実にとどまることなく、それを乗り越えていきたいと思うのです。
それではいったい、究極の青年の希望、あるいは野心とは何でしょうか。
たとえ、どんなに一生懸命やったとしても、その野心を達成した時「私は幸せです。野心を成し遂げたからです。」と言う事も、またそれを聞くこともありません。どんなに世界的人物になろうと、さらに高い目標を目指さなければならなくなるからです。
それでは、若者はいったい何を望んでいるのでしょうか。それは、永遠に代わることのない世界の中心存在になること、これが青年の野心ではないでしょうか。しかしたとえその野心を成し遂げることができたとしても、もしその人が人格的に完成されていなければ、彼は人間として不幸といえるでしょう。

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希望は私自身の中から出発する
私たちは、どれほどの幸福感を感じれば、満足することができるのでしょうか。
このことは、私達が考えるべき重大なテーマの一つです。
貴方が今まで知り合ったどんな若者でも、「国を越えて世界的になろう」という野心は持っています。しかし、たとえ形だけその基準が立ったとしても、それは真の理想にはなりません。真の理想とは自分自身から出発してこそ、存在可能となるものです。
結論を言えば、青年の基本的希望と野心とは、私自身の内の一つの中心点から出発し、世界に向かっていくものでなければならないということです。
次に私達が「完成する」とはどういうことをいい、また私たちの希望の中心とは何でしょうか。
世界の中心となれる、その確かな中心性を持った人がいるとすれば、その人は過去において幸福だったでしょうし、現在および未来においても幸福であるでしょう。
世界中の人々がそのような人を見つめるならば、その人を最も頼もしく
、素晴らしい人だと思うでしょう。
全ての人がそのような人に自分自身を委ねたいと願うことでしょう。
そのような理想人物は歴史を通じて、終始一貫して認めて来たに違いありません。それでは、そのような人物は、どのように存在可能となるのでしょうか。
理想的な青年像は、全ての国を包容出来る力を持ち、世界を、また、過去、現在、未来を代表し得るような青年像であるべきです。
もしそのような一人の青年が地上にいるとするならば、彼は世界の宝となるでしょう。
皆さんも良く知っているように、貴重な宝はすぐにはなくなりません。
それらは必ず、不滅の性質をもっています。また、そのような青年像は全体を反映します。
私たちはすべて、そのような青年像を追及しなければなりません。
そこで私たちはまず、「人間」それ自体について考えなければなりません。
一人の人を見る時、私たちは、その人の内的なものと、外的なものとの二面を見ます。
またその一人の人間の中に、「理想を成さなければならない人」と、「肉的存在としての人」との二面を見ることができます。
それでは、理想とはなんでしょうか。
理想とは、すべての人にあてはまり、だれも除外することのできないものです。
理想はすぐには現れませんが、しかし永遠のものです。

〜次回に続く〜

中心性を持ったぶれない若者となりたいものですね!!!
タグ:希望
posted by ハーモ at 19:52| Comment(66) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月04日

天安門事件20周年追悼に思う

天安門の犠牲者名公表を=事件の検証呼び掛け−米長官
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200906/2009060400065&rel=y&g=int

1989年6月に中国で起きた天安門事件(欧米では、「天安門
の虐殺」, Tienanmen Massacre と呼ばれる)も本日でかれこれ
20年になります。

自由と民主主義を求める学生・市民が軍隊に強襲され、実弾が発砲され
戦車にひき殺され・・・・・・・
北京で死者1万人、負傷者はその倍、北京以外では死者2万人、負傷者4万人の被害が出た、と国際アムネスティその他の人権擁護団体は推定している。

しかし、そんな自由を求めて立ち上がった学生達の犠牲的行為は、中国では報道統制、情報操作され最近の若者はほとんど知らないばかりか、欧米諸国や我が国からも忘れ去られ、すでに遠い歴史の一こま となりつつあるのです。

   この事件を北京政府は人民日報で次のように報じている。

 首都ならびに全国の全人民は、軍が人民の誰一人殺害し
たり、危害を及ぼしたりしなかったことを理解するであろ
う。反革命分子に抗戦するにあたって、軍は自衛行動を余
儀なくされたが、発射したのは空砲だけであった。その間、
将校、兵士、そして警官の4人が、これら非人間的な抗議
参加者によって残忍にも殺害された。これら分子の残忍性
は、一般人民の想像を絶するものである。

 多くの犠牲者の写真や、外国人報道記者の虐殺証言にも関わ
らず、このような発表が平然と行われる所に、中国政府のよく
言う「歴史の改竄」の典型を見ることができるのです。
  自由や平和、正義を訴えながら、二枚舌で実体は完全な一党独裁
  国家を作ってしまう。共産主義国家の典型であります。

この国に本当の自由は無く、オリンピック開催国とは思えないほど閉鎖的な国です。

しかし、一番恐ろしいのは、私達民主主義国家にも蔓延している無関心ではないでしょうか?

この国でかつて起こった自由の為の戦いを私たちは忘れてはいけません!!
かつて、武力鎮圧に果敢に立ち向かった青年、雄々しく戦車の前に立ちはだかり戦車群を引き返させた青年。

自由を取り戻そうと戦う良心(本心)の力はどこまでも無敵な力を持っています!!
それは神様までも動かし、歴史を変える力を持っています!!

かつて文先生が韓国の修練会で語られました。

「良心は両親に勝る!!良心は先生に勝る!!良心は神様に勝る!!!」

私、一人の良心は神様も頭を下げるほどの貴重性をもって創造されたと語られるのです

1時間の睡眠を取るか取らないかの中で、1年近く16万名に良心の自由を語られた文先生でした。

早く北朝鮮を開放し南北韓半島を統一しなければ中国が大きな力を持ち始める!と以前から先見性を持って叫び続け、今も歩まれる文先生です。

とにもかくにもこの日を通して、貴い崇高な方々の精神を相続して行きたい
黙祷・・・・・・

posted by ハーモ at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月31日

青年とは何か?

青年とは何か?


青  春

              原作 サミュエル・ウルマン

              邦訳 岡田 義夫
青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相(ようそう)を言うのだ。

優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、

こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。

苦悶や狐疑(こぎ)や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰(あたか)も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥(あくた)に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、

人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、

希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。 これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷(あつごおり)がこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は全く老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。


幻の詩人とも言われている「サミュエル・ウルマン」が書いた「青春の詩」です。

「青春の詩」は、ウルマンが70代で書いたものです。後半生をアラバマ州バーミングハムで過ごしたウルマンは、教育者として、またユダヤ教のレイラビ(精神指導者)として、実業家として幅広く精力的な活動をし晩年になって数編の詩をつくりました。実はこの「青春の詩」は1922年に家族が発行した詩集「80年の歳月の頂から」の巻頭の詩です。ウルマンはこの詩集が発表された2年後の1924年3月21日84歳でこの世を去りました。

 この詩は「リーダーズダイジェスト」が1945年に”HOW TO STAY YOUNG”のタイトルで掲載しました。そして、1955年、故マッカーサー元帥がロスアンゼルスの講演で「青春」を引用。1958年、森平三郎が群馬県桐生の東毛毎夕新聞に「岡田義夫訳」の「青春」を紹介したことによってこの詩が次第に広がりはじめました。その後、1982年、宇野収氏が日経新聞に「青春」の一部を紹介、大きな反響を呼びました。

やはり、信仰と若さとは気っても切れないもののように思えます。
若さとは精神的なものですね!!

そしてこの青春の詩を実体で生きてこられたのが、齢90歳にして今だ精力的に歩まれる文鮮明先生に他なりません。

今も尚、世界平和の為、神様の夢を自分の夢として、3時間以下の睡眠と一日2食の食事で幼子のように、青年のように歩まれているのです。


posted by ハーモ at 20:00| Comment(1) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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